実体験

避難のタイミングの難しさ|平成30年7月豪雨を被災して

被災アイキャッチ

2018年7月5日から7日にかけての3日間、西日本を中心に観測史上例のないほどの大雨が降り、かつて無い規模の水害が起こりました。

3日経った今(7月10日現在)も行方不明者数が13府県で74名いらっしゃるそうです。

消防や自衛隊の方々も救出活動を続けてくれていますが、いまだ断水や停電が復旧されていない地域もあるそう。

今回、僕も家族もありがたいことに命は無事でした。でも命の危険を感じた瞬間がたしかにありました。

被災時の避難のタイミング

友人宅被災(7月7日未明撮影)

広島市では7月5日から降り出した雨が6日になっても止まず、それどころかどんどん勢いを増していきました。

実は6日のお昼時点でこんなことになるとは家族内では誰も予想していませんでした。

今回の災害の特徴として、TVなどで特別事前に注意を促す報道が極端に少なかったんじゃないかと思っています。

「これはもしや」と思い始めたのは6日の夕方。

川の氾濫の危険

雨って「時間が経てば次第に弱くなり、気づけば止んでいくもの」だと思っているのですが、この日は一向にその気配がありませんでした。

お昼を過ぎた頃、雨が強くなってきたところで気づきます。

「これは様子がおかしい」

それでもまだ「無くもないか」と思い、いつも通り過ごしていたのですが、夕方になると違和感だったものが確信に変わっていきました。

降り続けて2日目になる雨がさらに勢いを増し始めたのです。

我が家のすぐ横に幅5~6メートルの川が流れているのですが、あっという間に見たことないところまで水位が上がってきました。

裏の川1(7月6日18時頃撮影)

この画像の時点でいつもよりは水位が高かったので奥さんに送るために写真を撮りました。

そしてその約30分後に撮った写真がこれです。

裏の川2(7月6日18時30分頃撮影)

写真が本当に見づらくて申し訳ないです。

赤く丸をつけたところに白いパイプが写っているのですが、これ、同じ場所を撮った写真なんです。

ここまで水位が上がるのにかかった時間が約30分ですので、どれほどの雨だったか想像に難くないかと思います。

避難準備にまずやったことはお風呂

嘘みたいな本当の話です。

リアルにこれから起こることを想像してまずやった事は僕の場合【お風呂に入って身だしなみを整える】でした。

これから起こりうる体験したことの無い状況までに数十分はあると踏んだ僕は、急いでシャワーを浴びてヒゲを剃りました。

理由は「次にいつお風呂に入れるか分からない」というのと、「避難先で色んな人に会うかも知れないから」というものでした。

人間、本当に追い込まれるとなにを考えるか分かりません。

シャワーを浴びている間も妙に冷静で「これから着る服は長袖がいいか?半袖がいいか?」と考えていました。

命の危険を感じて動き始めたはずなのですが・・・

家が揺れ始め停電する

雨の音が異常でそれだけでも怖かったのですが、轟音と共に家がなんとなく揺れているような気がしてきたのです。

勘違いかも知れないレベルだったのですが急に怖くなってきました。川の水圧が上がり過ぎてその水圧でかすかに家が揺れているような感覚。

我が家が建つ地形的に無い話じゃなかったんです。

TVをつけチャンネルをニュースに変え、些細な変化に気づくために音量も0に下げます。

大雨警報はもう出ていたのですが、この時点で避難勧告が発令されました。

川の水位が1番気になっていたので何度も確認するのですが(家が流される危険を感じていた)、見るたびに上がっていてさらに不安を煽ります。

そうこうしているとサイレンや町内放送が始まるのですが、雨と川の水の音ではっきり聞こえません。

不安になってなんとなく1階の玄関から外を見に行ったり、2階に戻って窓から川の水位を確認したりを繰り返していると、急に音もなく周りが真っ暗になりました。

この辺り一帯が停電したんです。暗くて3メートル先もはっきり見えない。

かすかに光が残った空は、不安も手伝ってか、この世の終わりみたいな色に見えました。

大雨特別警報からの避難指示

近所崩落(7月7日未明撮影)

停電の絶望感が背中を押し、ついに家からの避難を決断します。

実はこの直前に大雨警報大雨特別警報に変わり、避難勧告避難指示に変わっていたんです。

■大雨特別警報■

数十年に1度の降雨量が予想される場合に発表される警報

 

■避難指示■

避難勧告より拘束力が強い

避難準備情報<避難勧告<避難指示

ちなみに日本では【避難命令】はないので避難指示が最も拘束力が強い

この時たまたま連絡を取っていた自衛官である兄にこう聞いてみました。

マフィン
マフィン
大雨警報が大雨特別警報、避難勧告が避難指示に変わってるけど避難した方がいいかな? 

自衛官の兄
自衛官の兄
避難して空振りに終わっても問題はないが、被災したら最悪命を落とすこともある。避難しない手はない。

こんな経緯もあって重たい腰を上げ避難の準備を始めます。

避難時に必要な防災アイテム

僕が今回避難する時に1番初めに困ったのは【停電で暗くてなにも見えない事】でした。

荷造りをするにも手元が見えないのです。我が家には防災グッズの備えどころか懐中電灯すら用意がありませんでした。

焦りながらなんとなくでカバンに入れたのは、携帯の充電器と財布と妻に頼まれた不妊治療用の点鼻薬だけ。

実際に被災し、停電の中避難した僕が「こんな時にあれがあれば便利だった」と感じたものは懐中電灯とラジオです。

なにも準備が無い人はとりあえずこれだけでも持って出れば避難後役に立つかと思います。

余裕があれば持ち運べるだけの飲料水も!

避難場所によってはこれも重宝すると思います。

避難のタイミングの難しさ

停電した自分の暮らす家を出て、駅の近くにある義実家に向かおうとしていると、2件隣に住んでいる女性の方が不安そうに真っ暗な玄関から顔を出していたので声をかけました。

マフィン
マフィン
こんばんわ。僕はそろそろ避難しますがまだ避難されないのですか?

ご近所の奥さん
ご近所の奥さん
した方がいいんでしょうか?まだ主人が帰って来ていないのでなんとも・・・

マフィン
マフィン
そうですか・・。雨は今晩止むことは無いと思うので、もし避難されるなら早い方がいいかもしれませんね。

不安そうな女性を真っ暗な中に置いていくのはちょっとだけ気が引けたけど、避難を強制する訳にもいかず会釈をしてその場を去りました。

避難のタイミングは本当に難しかったです。今回のタイミングもベストだったかどうかも分かりません。

お隣さん結局は無事なようでした。よかった。

避難先に選んだのは奥さんの待つ義実家

小高い地域にある自宅は2階建ですし、浸水の心配はなかったのですが、家がとにかく流される可能性があったので自宅より低い位置にある義実家に向かいます。

普段なら歩いて25分で行ける距離ですが、この日は1時間近くかかりました。

その時の光景が本当に異世界に迷い込んだのかと思うほどだったんです。

始めたばかりとはいえ「自分はブロガーの端くれでもあるんだ」と思い、腰まで水に浸かりながらもその光景を写真におさめておきました。

これがその時の写真。

ポプラ前(7月6日19時45分頃撮影)

 

コンビニが半分くらい沈んでいる写真。こんなのこれまで見たことない!

車浸水(7月6日19時45分頃撮影)

こっちは車が沈みかけてます。

人は乗っておらず、バッテリーもまだ生きてましたが燃料が漏れ始めていて横を通るのが怖かった。

急にライトから火花が出て、ガソリンに引火してえらい事になんないかビクビクしながら。

急いで進もうにも水位が高くスピードも出ず・・・

腰高水位(7月6日19時45分頃撮影)

義実家に着いて着替える時、Tシャツがちょうど写ってる辺りまで黄色くなっていたので腰上までは水位があったと思います。

後で分かったのですが、この辺りはどうやら海抜が一番低かったらしく浸水被害も酷かったです。

「あのまま家に居た方が良かったかもしれない」と思う瞬間もあるほど恐怖でした。

でも1人で家に居るのも怖かったし、奥さんも点鼻薬をしないとダメな時間が迫ってたんです・・・

義実家に着いた時、奥さん超不安そうでした。

避難完了

浸水の水位がどこまでくるか予想できず、義実家に着いてからも怖くてずっと2階の窓から外を見ていました。

実家は川の水に流される心配はなかったのですが、山が近く、土砂災害の危険性が高い場所に建っていたんです。

それでもずっと外を見張っている訳にもいかず、身体も疲れていたせいか横になるとその日はすぐに寝てしまいました。

翌朝

朝になって外が明るくなると状況がよく見えました。

TVをつけニュースを観て、今まで経験したことのないレベルの災害だとはっきりと分かります。

幸い僕達家族には怪我もありませんが、浸水被害は想像以上のものでした。

車で15分くらい行ったところの地域では被災して命を落とした方がたくさんいると知り、なんとも言えない感情になります。

今ニュースで報道されている事は「自分達の可能性もあったのか」と思うと身震いしました。

本当に複雑な心境でした。

追記

葬式(7月9日12時30分頃撮影)

そして「今日は忙しくなりそうだ」と思っていると親父から電話が入りました。

「婆ちゃんが亡くなった」と。

・・・まじかよ、婆ちゃん。

 

 

今かよ。

この数十年に1度の大災害時に

役所前

天下の国道2号線も崩落したこんな日に

2号線

8年間寝たきりだった90歳の僕が愛してやまない婆ちゃんが今日この日に亡くなったって?

・・・婆ちゃんの待つ兵庫に帰ろうじゃないか。

帰らない理由がない、だって婆ちゃん愛してるもの・・・

約束してたしね。

 

新幹線? 動いてねぇな・・・

 

山陽高速道路? 通れねぇな・・・

 

・・・

 

帰るよ・・帰りゃあいいんでしょ。

結局1日経っても山陽道が通れなかったので10時間かけて島根から米子・鳥取通って帰りました。

通夜には間に合わなかったけど、葬式には出られた。

ちょっと迷ったけど婆ちゃんと最後のお別れもできたし、無理して帰ってよかったです。

 

以上が僕の被災記録です。色々忙しくて書きだしから2日かかった・・・

長い時間読んでくれてありがとうございました。

ABOUT ME
あめにじ管理人
30代の既婚者。20代は大阪で商売をしていましたが、33歳で奥さんと結婚したのを機に妊活のために奥さんの実家がある広島に移住。不妊治療(体外受精)経験者。6度目の体外受精で妊娠できました。サラリーマンをしていましたが、持病(SAD)が悪化したため退社し、今は専業ブロガー(アフィリエイター)を目指しています!
あわせて読みたい

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください